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東京高等裁判所 昭和32年(ネ)1698号 判決 1959年4月28日

控訴人(被申請人) 関東醸造株式会社

被控訴人(申請人) 高村猛

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は「原判決を取消す。被控訴人の申請を棄却する。訴訟費用は第一、二審共被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上の主張及び疎明の関係は、左記の点を附加する外、原判決事実摘示と同一であるから、これを引用する。

被控訴代理人は次の通り申請の理由を補足陳述した。

一、本件仮処分の必要性について、

被控訴人は特別の資産を有せず控訴会社より得る賃金を以て唯一の生活源としてゐる労働者である。また、関東醸造株式会社労働組合(以下単に組合という。)は被控訴人が中心となつて結成せられ、その組合員数は僅か三十名内外の弱小組合であつて、しかも組合結成後日なお浅いのであるから、被控訴人の如き高度の学歴を有し且組合意識旺盛な人物が組合にとつて必要であり、被控訴人なくしては組合の存続すら危ぶまれる状態である。従つて、本案判決確定迄被控訴人が被解雇者として取扱われるときは、被控訴人個人が経済的及び精神的に回復し難い損害を蒙ることは勿論、組合にとつても致命的打撃を受けることは明かである。よつて、本件仮処分の必要性は十分にある。

二、控訴会社の主張に対する反論として。

(一)  控訴会社の主張する被控訴人採用の三条件を被控訴人が高村政雄から告げられこれを承知してゐたこと、柏倉工場長が控訴会社の主張するようなことを被控訴人に告げたことはいづれも否認する。控訴会社主張の解雇の理由あることはこれを争う。

(二)  被控訴人が控訴会社の本社に転勤することは同人の組合活動に重大な支障を及ばすものである。すなわち被控訴人は組合書記長として、組合規約の定めるところに従い、組合大会及び執行委員会の議事録の整備、一切の組合書類の保管他組合との連絡、対外的書類の作成その他会計を除く組合事務全般を担当し、他面、組合加盟の熊谷地区一般合同労働組合の執行委員の職にある為必要な会議への出席、県労働組合評議会との連絡等の任務をも有してゐるのであるが、被控訴人が本社転勤後もこれらの組合関係事務を継続しようとすれば、東京の本社から深谷市の工場内にある組合事務所迄毎日出向かねばならず、そうすることは時間的に不可能であるのみならず、(控訴会社本社と深谷工場間の片道所要時間は交通機関を利用して約二時間四十五分である。)その所要交通費月額二千数百円の負担にも堪えられないし、更に前記加盟組合の会議への出席、上部団体との連絡も不可能となる。しかも組合には現在被控訴人に代り書記長の任に堪えうるものは一人もゐない状態である。

控訴代理人は次の通り答弁事実を補足陳述した。

一、被控訴人主張の請求原因に対する答弁として、同請求原因事実中昭和三十二年四月四日控訴会社と組合との団体交渉の席上において、被控訴人が「組合活動が軌道に乗る迄本社への転勤命令を撤回されたい」と申込んだとの事実は否認する。

二、控訴人の主張として、

(一)  被控訴人採用の経緯につき、

控訴会社が被控訴人を採用したのは、本社において従来適任者が欠けてゐた製品販売面における企画、宣伝の業務を担当させる目的を以てしたのであつて、深谷工場における簡単な事務を担当させることを目的としたものではない。当時右工場における事務は製造に伴う受払、検定程度のものであつて、被控訴人の如き大学卒業者を専任させる程重要なものではなかつたのである。そして被控訴人の採用を内定した直後である昭和三十一年十一月十九日控訴会社は常務取締役藤本忠を介して被控訴人の伯父であり且その就職に関し一切の権限を有してゐた高村政雄に対し(イ)入社後三ケ月は見習社員とすること、(ロ)見習期間中は工場で実習すること、(ハ)見習期間終了後は本社業務を担当させること、以上三条件を本人が承知するならば採用する旨を申向けたところ、高村政雄はこれを諒承し、同月二十四日同人より被控訴人に右三条件を告げ、被控訴人はこれらの条件を熟知の上翌二十五日深谷工場に着任したのである。更に、右着任の翌二十六日同工場長柏倉俊弥は被控訴人に対し、「今日から工場で製造工程の見習をする。それを一応終れば営業関係の仕事をして貰う。工場では二月に事務職員を二人も本社にやり工場としては事務の人は不要である。」旨を話した事実及び昭和三十二年一月中旬同工場長が被控訴人に対し、「工場での見習期間は本人の勉強にもよるが三ケ月位である」と告げた事実もあつたのである。

(二)  被控訴人を解雇した理由につき。

控訴会社が昭和三十二年四月六日付で被控訴人に対し解雇を通告したのは、(イ)被控訴人に本社転勤を命じたことは控訴会社の業務上の必要に基くものであり、しかもそのことは被控訴人採用の当初より予定せられ被控訴人も熟知のことである。もし被控訴人が工場での見習が終つたにも拘らず本社転勤に応じないというのであれば被控訴人を採用した目的は全く失われてしまうこと、(ロ)それにも拘らず被控訴人は転勤命令を拒否し発令後一ケ月を経過したこと、(ハ)同月四日の団体交渉の席上における被控訴人の言動に鑑み通常の手段によつてはもはやその転勤を期待できなかつたこと、(ニ)これを放置すれば控訴会社の規律は紊れ収拾し難い困乱を予測されるに至つたこと、(ホ)転勤に応じないときは解雇する旨の控訴会社の最終的勧告をも被控訴人は拒否したこと、以上の理由によるものであつて、右の解雇は控訴会社として万已むを得ない正当の措置である。なお被控訴人の本社転勤により組合活動に重大な支障を生ずる旨の被控訴人の主張は争う。

疎明<省略>

理由

第一、被控訴人が控訴会社監査役高村政雄の甥であり、国学院大学国文科卒業の学歴を有すること、右高村政雄の紹介により昭和三十一年十一月二十二日被控訴人が控訴会社の従業員に採用せられたこと、被控訴人は控訴会社深谷工場勤務を命ぜられ、同月二十五日同工場に着任し、翌二十六日より同年十二月二十一日迄の間控訴会社主張の同工場内各作業現場で工員と同様に働き同月二十二日以降は同工場試験室に勤務してゐたこと、昭和三十二年二月二十四日右工場の従業員二十六名により関東醸造株式会社労働組合が結成せられ被控訴人は組合書記長に就任し被控訴人を含む組合三役(正副各委員長と書記長)は翌二十五日控訴会社取締役兼深谷工場長柏倉俊弥に対し口頭で組合結成の旨を通告したこと、同年三月二日控訴会社は前記柏倉工場長を通じ口頭で被控訴人に対し控訴会社の東京の本社に転勤すべき旨の同月一日付命令を通告し、次で同月五日には右工場長を通じ、更に同月十日には本社の木村管理課長を通じそれぞれ被控訴人に対し右転勤に応ずるよう勧告したが、被控訴人はいづれもこれを拒否したこと、控訴会社は同年四月一日内容証明郵便を以て重ねて被控訴人に対し右転勤を勧告したこと、同月四日控訴会社の本社において組合代表、組合の上部団体役員等と控訴会社の代表者等が団体交渉の為会合した席上において、被控訴人は右転勤命令を拒否する旨発言したこと、同月五日控訴会社は更に柏倉工場長を通じ被控訴人に対し右転勤命令に応ずる様勧告したが、被控訴人は依然これに応じなかつたので、控訴会社は被控訴人に対し同月五日附翌六日到着の内容証明郵便で業務命令違反の理由により同月六日付を以て被控訴人を解雇する旨の意思表示をなし併せて工場内への立入禁止、社宅の明渡請求等の通告をなしたこと、及び控訴会社の本社においては労働組合が結成せられてゐないこと、以上の事実はいづれも当事者間に争いがない。

第二、被控訴人は、右転勤命令は、控訴会社が被控訴人の組合活動を阻止することないし組合の弱体化を図ることを意図してなした不利益な取扱であるから不当労働行為であり、その拒否を理由とする本件解雇通告もまた不当労働行為に該当しいづれも無効であると主張するので、以下順次考察する。

I、転勤命令が右の如き意図の下になされたかどうかについて。

(一)  成立に争のない乙第十七号証の一ないし三、原審証人蟻川浩雄の証言により成立を認めうる乙第四号証、原審証人柏倉俊弥の証言により成立を認めうる乙第五号証、原審証人藤本忠の証言により成立を認めうる乙第六号証、当審証人蟻川浩雄の証言により成立を認めうる乙第十七号証の四に右証人蟻川(原審及び当審)、柏倉、藤本の各証言竝びに当審証人高村政雄の証言を綜合すると、控訴会社の内容及び運営状況は凡そ次の通りであつたと認められる。

控訴会社は昭和二十三年七月設立せられ、支那酒等の製造販売を目的とする資本金三千万円の株式会社であつて、東京都品川区東大崎二丁目に本社を、埼玉県深谷市に工場を有するのであるが、設立以来業績振わず、昭和三十年九月の決算期には累計約三千五百万円の損失を生ずるに至つたので、昭和三十一年一月訴外株式会社常盤商会にその経営を一任することになり、当時控訴会社代表取締役であつた高村政雄は監査役にかわり、右常盤商会の代表取締役萩原勇次、同常務取締役藤本忠がそれぞれ控訴会社の代表取締役及び常務取締役に就任した。右萩原、藤本等は就任後控訴会社の業績をあげる為に販売面の改善をはかる必要を認め、当時深谷市に在つた本社を東京に移すと共に従来の東京事務所を廃止し同事務所に在勤してゐた事務職員四名販売員二名の外深谷工場の事務職員の内二名をいづれも本社勤務とし更に一名の臨時職員を傭入れて、以上九名の内女子一名を事務担当とし、その余の八名を以て製品の宣伝及び販売に当らせることとした結果同年九月の決算において製品売上高は前年度に比しある程度の増加をみたのであるが、控訴会社としては引続き右宣伝及び販売面の充実に努力してゐたのである。

(二)  原審証人藤本忠、当審証人高村政雄の各証言竝びに原審及び当審における被控訴本人尋問の結果を綜合すると、控訴会社が被控訴人を採用した経緯を凡そ次の通り認めることができる。

被控審人は国学院大学卒業後教育界に就職を希望してゐたが適当な就職先がなかつたので伯父にあたる前記高村政雄に就職の斡旋を依頼し、同人は昭和三十一年十一月中旬頃控訴会社代表取締役萩原勇次同常務取締役藤本忠等に被控訴人の採用方を申出でた結果、控訴会社としては、紹介者が控訴会社の前代表取締役であり現監査役で高村政雄であり且被控訴人がその甥であるという特殊の関係があつた為採用の為の試験または面接等を経ることなく被控訴人の採用を決定し、その旨を高村政雄を通じ被控訴人に通知したので、被控訴人は同月二十二日始めて控訴会社に出向し常務取締役藤本忠に面接し、同人より口頭で前記の如く深谷工場勤務を命ぜられたのである。

(三)  成立に争のない甲第二号証、同第三号証、同第六号証、乙第三号証の一ないし十三、同第三号証の十四の一、二、同第三号証の十五、前記乙第四号証、当裁判所が真正に成立したと認める甲第五号証、当審証人高村政雄の証言により成立を認めうる甲第八号ないし第十号証の各一、二(但し同各一の内日付印の成立は当事者間に争いがない。)、当審証人小此木文美の証言により成立を認めうる甲第十五号証、当審における被控訴本人尋問の結果により成立を認めうる甲第十八号証竝びに原審証人黒田辰二、原審及び当審における証人森絹代、同小此木文美の各証言、同被控訴本人の各尋問の結果を綜合すると、控訴会社が被控訴人に対し前記の転勤命令を通告するに至つた前後の経緯は凡そ次の通りであつたと認められる。

(1) 控訴会社深谷工場においては、従来従業員間に労働組合結成の気運がないわけではなかつたが、その結成の中心となるべき人物が居なかつた為無組織のままになつてゐたのであるが、被控訴人は前記の通り昭和三十一年十一月二十五日同工場に着任した後間もなくそのことを知り、早急に組合結成の必要を痛感し同工場従業員小此木文美、関口和雄、飯野勇等に対し労働組合結成の必要を説き次で被控訴人が中心となつて右三名等と共に他の従業員等に対し働きかけ組合結成の気運を盛り上げると共に熊谷労政事務所等より組合結成に関する指導を受け昭和三十二年一月以降数回結成準備会を開いた上同年二月二十四日前記組合を結成し委員長に小此木文美、副委員長に藤村真、書記長に被控訴人が各就任し翌二十五日その旨を柏倉工場長に通告したところ、それから四日を経た同年三月二日控訴会社は被控訴人に対し後記の如く何等事前の内示をなすことなく前記の転勤命令を通告した。

(2) そこで、被控訴人及び被控訴人よりそのことを聞知した小此木組合委員長等は、この転勤命令は組合の弱体化を図るものであるとし即日柏倉工場長を通じて控訴会社にこれが撤回を申入れたけれども控訴会社は右転勤命令は何等組合とは関係のないものであるとして撤回申入に応ぜず更に前記の通り同月五日及び十日の二回に亘り被控訴人に対し転勤に応ずるよう勧告した。

(3) その後、組合と控訴会社間において、会社の設備利用の件及び団体交渉の手続等に関し協定書の作成をみたが(この点は当事者間に争いがない。)従業員の人事事項及び労働条件等を含むいわゆる労働協約が未締結であつたので同年三月二十一日頃より右労働協約の締結を目的とする団体交渉が右両者間に開かれたが意見の一致をみなかつたので組合は同月三十日より同年四月一日迄の間超過勤務拒否等の実力行使に入つたところ、同日控訴会社は被控訴人に対し前記の通り内容証明郵便による転勤勧告をした。

(4) 前記高村政雄は、同年三月八日頃福岡市在住の被控訴人の母高村かほるに対し手紙を以て「猛君(被控訴人を指すものと認める。)を入社させる際猛君にも当分組合運動などには全然関係せぬように述べておいた。従来この会社(控訴会社を指すものと認める。)に労働組合なども全然なかつたのに猛君が入つて直ぐ組合の成立に努力し自分も書記長になつて組合を作つたそうです。入社二ケ月そこそこで自分が真先に立つなどは推薦者たる小生として甚だ不安に堪えない。母親たるあなたの都合で福岡に帰るようにされるのが一番都合がよい」旨を申入れ、また被控訴人に対し同月九日付手紙を以て「組合結成に関する貴下の態度等に関しては種々報告を受けた。今度は更めて小生の重大な道義上の責任問題を考慮せねばならぬ」旨及び同年四月五日付手紙を以て「今後ストをやり職場を放棄されたりしては小生の立場は愈々窮地に陥る。関東醸造と王子醗酵との関係から小生の責任は愈々重大化して来る。この間の事情を十分考慮して貰い度い。猛君自身にとつても実のところ愚の骨頂である」旨を各申入れた事実がある。

(5) 同年二月二十五日前記の通り被控訴人等が組合結成の旨を柏倉工場長に告げた直後同工場長は被控訴人に対し「今迄組合がなかつたのに、君が来て、二、三年後なら格別、僅か二、三ケ月で急速にできたのでは君が作つたと思われるだろう。まして書記長になつたのでは将来不利益ではないか」という趣旨のことを申向けた事実がある。(この点に関し原審証人柏倉俊弥の証言及び前記乙第十七号証の二中には上記と異る供述及び記載があるけれども前記被控訴本人尋問の結果(原審及び当審)と対照するときは未だ前記疎明を妨げるに足りない。

(四)  控訴会社の本社及び深谷工場の所在場所はさきに認定した通りであつて両者間の交通には電車等を利用して片道二時間半以上を要することは当裁判所に顕著である。従つて、被控訴人が本社勤務となつた暁には、本社と深谷工場内に在る組合事務所(組合事務所が右工場内に在ることは控訴会社の明かに争わないところである。)間の往復に五時間以上を要する結果、被控訴人が本社での就業時間外に右組合事務所に赴き組合関係の事務を処理することは著しく困難となることはみやすいところである。また前記甲第六号証、同第十五号証と原審証人小此木文美の証言を綜合すれば右転勤発令当時は組合結成後日なお浅く、しかも組合関係の知識のある者が被控訴人を措いて他にゐなかつた為、被控訴人が転勤の結果組合活動から遠ざかることになれば組合の運営に重大な支障を来たす状況にあつたことを窺うに十分である。

(五)  以上記載の事実殊に(三)、(四)記載の事実を綜合すると、昭和三十二年三月一日付の本件転勤命令は、被控訴人が中心となつて深谷工場で組合を結成したことを快しとしない控訴会社がその為に被控訴人を組合組織のない東京の本社に配置換してその組合活動を阻止するか少くとも著しく困難ならしめ、延いて組合の弱体化をはかる意図を以てなされたものであり、しかもかかる意図が右転勤を発令するに至つた主要な理由であると推認せられるのである。

(六)  控訴人は、被控訴人に対し転勤を命じたのは組合とは何等の関係なく専ら控訴会社の業務上の必要に基くものであつて、しかもこの転勤は被控訴人採用の当初より予定されてゐたことである。すなわち、(イ)控訴会社が被控訴人を採用したのは本社において従来適任者が欠けてゐた販売面における企画、宣伝の業務を担当させる目的を以てしたのであり、深谷工場における簡単な事務を担当させることを目的としたものではない。(ロ)被控訴人の入社当初深谷工場勤務を命じたのは同工場で製造作業及び工場事務全般を見習わせる為であつて、その見習期間を約三ケ月としこの期間終了後は本社において前記業務を担当させることを採用の条件とし被控訴人はそのことを熟知してゐた。(ハ)現に控訴会社においては、組合結成の通告をうける以前である昭和三十二年二月中旬頃既に被控訴人を本社に転勤させるべく準備してゐたのである。と主張する。

(1) なるほど、前記第二の(一)に説示した控訴会社の業務内容及び運営状況からすれば、被控訴人を採用当時控訴会社においては製品販売面の企画、宣伝業務に適する社員の入社を希望する事情にあつたことを一応推測できるし、更に、前記乙第五号証、成立に争いのない乙第九号証の一ないし七、同第十号証の一ないし二十六、同第十一号証の一ないし六、同第十二号証の一ないし三十一、同第十三号証及び第十四号証の各一ないし六、原審証人柏倉俊弥の証言により成立を認めうる乙第二号証の八と右証人竝びに原審及び当審証人森絹代の各証言、原審における被控訴本人尋問の結果とを綜合すると、被控訴人が昭和三十一年十二月二十二日深谷工場試験室勤務になつた以後同人が担当してゐた業務は、各種日報及び出勤簿の整理、賃金計算、出荷及び入荷の立会、労災関係事務等いわば庶務ないし雑務的事務であつて必ずしも大学卒業者を以てこれにあてることを必要としない程度のものであると認められるのである。そして右(1)の事実からすれば被控訴人に右の如き工場事務を担当させるよりも本社において適当な業務を担当させる方が控訴会社の人員配置上望ましいことであるといい得よう。

(2) しかしながら、原審及び当審における被控訴本人尋問の結果によれば前記の如く昭和三十一年十一月二十二日被控訴人が控訴会社本社において常務取締役藤本忠に面接した際、被控訴人は同人より単に「深谷工場でみつちり仕事を覚えて来て貰い度い。」と告げられただけで、工場での勤務期間及びその後の配置予定等については何等の説明もなかつたこと、その後前記転勤命令の通告を受ける迄の間被控訴人はこれらの事項につき控訴会社より何等の説明を聞いてゐないのみならず転勤命令通告に際しても転勤の理由及び転勤後の職務内容等につき具体的な説明を聞いてゐないことが認められ、(前記乙第四号証同第六号証同第十七号証の二及び原審証人蟻川浩雄、同柏倉俊弥の各証言中には右に反する記載及び供述があるが右被控訴本人尋問の結果と対照するときは未だ上記疎明を左右するに足りない。)この事実に、控訴会社が被控訴人を採用するに至つた経緯が前記第二の(二)記載の通りであること、国学院大学国文科卒業という被控訴人の学歴は必ずしも支那酒の販売、宣伝というような商人的業務に対する適応性を示すものでないこと、竝びに前記甲第八号ないし第十号証の各一、二により明らかな次の事実、すなわち前記高村政雄は高村かほる(被控訴人の母)及び被控訴人宛の前記各手紙において専ら被控訴人の組合活動を批難するに止り転勤に関する控訴人主張の如き業務上の理由については一言も触れてゐない事実を考え合わせるときは、右(1)に説明したところを考慮に入れてもなお前記転勤命令が控訴人主張の如く組合の結成とは全く無関係に専ら控訴会社の業務上の必要に基くものである被控訴人を採用する当初より予定されてゐた人事異動であること、この転勤は組合結成の通告以前に既に控訴会社において準備してゐたことは到底認め難いのである。乙第二号証の九、同第四号ないし第六号証、同第十七号証の二、三、竝びに原審及び当審証人蟻川浩雄、原審証人柏倉俊弥、同藤本忠の各証言中には前記控訴会社の主張を裏付けるような記載及び供述があるけれども未だ以て上記(五)記載の推断を左右するものとはなし難い。

II  本件転勤命令が不利益な取扱であるかどうかについて。

被控訴人が前記組合の結成当初その書記長に就任したことはさきに説明した通りであり、成立に争いのない乙第七号証(組合規約)及び当審証人小此木文美の証言によると、被控訴人の組合書記長としての職務は組合大会及び執行委員会の各議事録の整備、組合の書類の保管等を含む内部的業務全般(会計を除く)の外、会社及び他組合との交渉、連絡等の対外事務にも及ぶものであることは明かである。然るに被控訴人が本社勤務となれば本社と組合事務所間の距離的関係から書記長としてこれらの組合業務を処理するに著しい困難を伴うことは上記の通りであるから、被控訴人を本社に転勤させることは組合役員としての被控訴人に対し不利益を与えるものであることは明かである。原審証人蟻川浩雄の証言によれば、控訴会社は被控訴人を本社転勤と同時に見習社員から本社員に昇格させる予定であつたようであるけれども、労働組合法第七条第一号にいわゆる不利益な取扱とは単に経済的待遇上の不利益のみならず労働者の労働組合員としての活動に対し不利益を与える場合をも含むものと解すべきであつて、本件転勤命令が前記Iに説示したような意図の下になされ、この命令に従うことが組合役員としての被控訴人に対し右の如き不利益を与えることが明である以上、たとい転勤と共に、被控訴人を待遇上有利と認められる正社員に昇格させる予定であつたとしても、なお右転勤命令を前記法条に定める不利益な取扱と解することを妨げるものではない。

III  以上の説明によれば、被控訴人に対する昭和三十二年三月一日付の本件転勤命令は労働組合法第七条第一号に該当する不当労働行為であり、法律上無効のものといわなければならない。そうすれば被控訴人がこの転勤命令を拒否し、更にその後同年四月五日に至る迄の間控訴会社からの口頭または書面による再三の転勤勧告に応じなかつたとしても固より被控訴人を咎むべき筋合ではないから(その間に被控訴人を本社に転勤せしむべき業務上の必要が新たに生じたことは控訴会社の主張しないところである。)被控訴人の転勤拒否を業務命令に違反したものとして控訴会社が同月六日付でなした本件解雇の意思表示もまた前記法条に該当する不当労働行為として法律上その効力を生じないものというべきである。

第三、仮処分の必要性について。

被控訴人が特別の資産を有せず控訴会社から受ける賃金を唯一の生活源としてゐることは当審における被控訴本人尋問の結果からこれを窺い得べく、また被控訴人が組合結成以来書記長として組合の中心的指導的人物であつたことは前記説示から明かであるから、本案判決確定迄被控訴人を被解雇者として取扱うときは被控訴人に対し著しい経済上及び精神上の損害を与えるであろうことは容易に推測できるところである。(前記乙第七号証組合規約によれば、組合員が退職したときは原則としてその資格を失うことになつている。)従つて、本件においてはかかる損害を避ける為仮処分の必要あることは疎明せられてゐる。

第四、以上の理由により、被控訴人の前記損害を避ける為本案判決確定迄前記転勤命令及び解雇の意思表示の効力を停止し被控訴人を従業員として待遇すべきことを控訴会社に命ずる仮処分を求める被控訴人の本件申請はこれを認容すべきである。よつて、これと同旨の原判決は相当であるから民事訴訟法第三百八十四条により本件控訴を棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法第九十五条、第八十九条を適用し、主文の通り判決する。

(裁判官 奥田嘉治 岸上康夫 土肥原光圀)

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